このところ築地の公園を歩いて気づいたのだが
昔はたくさんいた猫がいない。まったく見かけない。
公園を出て、そこここの路地を見ても猫がいない。
駆除されてしまったのではないかと地域の人が言う。
(猫の駆除って何をするんだ?)
築地の市場の人にきくと
市場にも猫の姿が見えなくなったらしい。
たくさんいた猫はどこへ行ってしまったのだろう。
私が歩くのは築地7丁目あたりだが
少し前までは築地川公園にもあかつき公園にも
ぞろぞろ猫がいたものだった。
荒川区では「良好な生活環境の確保に関する条例」(仮称)
というものができるらしく
これが施行されると飼われていない動物に餌をやることが禁じられる。
すでにして野良猫に餌をやった人が脅されたり
追いかけられたりという事件がニュースになっていた。
だまって猫が消えてしまう街も恐ろしいが
動物愛護法に反するような条例を作ろうとする区も
どこかおかしい。
ふと動物愛護法を読んでみたらこんな基本原則があった。
動物が命あるものであることにかんがみ、
何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、
又は苦しめることのないようにするのみでなく、
人と動物の共生に配慮しつつ、
その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。
「人と動物の共生」という言葉がここにある。
土地は人間だけが占有できるもの、
街は人間にとってのみ快適であればいいという考えの人は
「人と動物」を「自分とペット」と勘違いしそうだが
そういう人はさらに下の引用を読んでいただきたい。
平成18年10月1日に告示された環境省の
「動物の愛護及び管理に関する施策を総合的に推進するための基本的な指針」
である。
動物の愛護の基本は、人においてその命が大切なように、
動物の命についてもその尊厳を守るということにある。
動物の愛護とは、動物をみだりに殺し、
傷つけ又は苦しめることのないよう取り扱うことや、
その習性を考慮して
適正に取り扱うようにすることのみにとどまるものではない。
人と動物とは生命的に連続した存在であるとする科学的な知見や
生きとし生けるものを大切にする心を踏まえ、
動物の命に対して感謝及び畏敬の念を抱くとともに、
この気持ちを命あるものである動物の取扱いに反映させることが
欠かせないものである。
人は、他の生物を利用し、
その命を犠牲にしなければ生きていけない存在である。
このため、動物の利用又は殺処分を疎んずるのではなく、
自然の摂理や社会の条理として直視し、
厳粛に受け止めることが現実には必要である。
しかし、人を動物に対する圧倒的な優位者としてとらえて、
動物の命を軽視したり、動物をみだりに利用したりすることは誤りである。
命あるものである動物に対して
やさしい眼差しを向けることができるような態度なくして、
社会における生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養を図ることは困難である。
ところで、なぜ私が築地を散歩するかというと
「ちいちゃん」をあきらめきれないからなのだが
猫の気配がしない公園や路地を歩きまわっていると
「ちいちゃん」の飼い主も
こうして猫の不在感をさんざん味わって味わい尽くして
あきらめの境地に至ったのだろうなと思うのだった(さ)