紫式部は藤原為時という地方官僚の娘だが
この父親は詩人でもあり、
花山天皇の家庭教師をした学問の人でもあった。
子供の頃から漢文を読みこなした紫式部も
学問にかけては相当なものであったようだ。
(私なぞ未だに読めないぞ)
生年没年とも定かでないが
970年から978年の間に生まれているらしい。
紫式部が中宮彰子の女房として宮中に出仕したのは1005年で
このときすでに紫式部は
短い結婚生活を終え、未亡人になっていた。
だいたい紫式部という人は、浮いた噂もほとんどなく
美貌だったという話も聞かない。
結婚相手も従兄弟だか又従兄弟だかの
親子ほども年齢の離れた人で父親と仲良しだったというから
当時としては嫁き遅れた娘を
「親戚のおじさん」が嫁にもらってくれたのだろうか。
ところで紫式部という植物がある。
普通は上の写真がムラサキシキブといわれているが
どうやらこれは小式部で
庭木として紫式部を名乗っているほとんどが実は小式部だ。
本当のムラサキシキブは背丈が高く実のつきかたが
バラッとしている。
つまり観賞用として小式部の方が美しいのだ。
小式部というと紫式部の娘のようだが、そうではなく
紫式部と同年代の和泉式部の娘なのだった。
和泉式部はふたりの親王をはじめとして
親から勘当されるほどの浮き名を流したが
小式部も母親ゆずりでなかなかのものだった。
紫式部は学名が Callicarpa japonica といって
「日本の美しい実」という意味がある。
この名前はあくまでも「紫式部」に与えられている(さ)