芋川温泉からの帰りのことだった。
常に無計画な秘湯会としては画期的なことだが
昼食を食べる店を決めていた。
八海山への登山口にある八海山蕎麦だ。
会長のナビが大いに間違っていたこともあり
多少手間取ったが、何とか蕎麦屋に着いた。
ガラガラ...店の戸を開けると
おばさんがてんてこ舞いしていた。
先客に向って30分以上かかるがかまわないかと訊ねる口調が
頼むから帰ってくれと言っているようだった。
しかし先客も秘湯会も帰るつもりはないので店に上がった。
店内はこれ以上ないというくらいゆったりしている。
客を極力減らしたいので
テーブルを減らしているように見えた。
しかも空いたテーブルが半分もある。
働いているのは三人。
蕎麦を打っているおじさんと運ぶおばさん、
それと手伝いの女の人だが
この三人が著しく人間工学に反した動きをしながら
バタバタと走りまわっている。
その行動に法則はなく
法則のないところに宇宙は形成されない。
よって、店内は取っ散らかっている。
どうして客にお茶を出したついでに
空いた器を下げないのか。
おじさんおじさん、出て来て客に言い訳してないで
さっさと蕎麦を打ってくれ。
しかし、おじさんのおしゃべりのおかげで
この混乱の原因が判明した。
もう一軒の蕎麦屋が休んでいるために
客がいつもより多いらしいのだ。
客が多いといっても
東京の蕎麦屋ならこの客数は赤字だ。
テーブルの数をもっとふやしても
人間工学にのっとった動きをすれば
おじさんとおばさんだけで蕎麦屋の小宇宙は形成できる。
そもそも、どうしてこのガラガラの店で
こんなに忙しそうにしなければならないのだろう。
しかし、この八海山蕎麦の店は
法則のないまま三人が右往左往して疲れ果てたらしく
我々が蕎麦を食べ終わって店を出て
振り返ったら、もはや「準備中」の札が出ていたのだった。