擂り鉢ご飯をご存じか。
胡麻和えを作るとどうしても擂り鉢の目のところに胡麻がはまり込む。
そこにご飯をひと口分くらい入れて混ぜると
擂り鉢にひっついた胡麻が今度はご飯の方に宿替えをする。
昔の子供はそれを食べさせてもらったそうだ。
「昔」がどの程度かというと私の母か祖母の時代、
これを教えてくれた京都のおばあちゃんの子供時代だから
戦前かなあと思う。
写真は人参葉の胡麻和えの擂り鉢ご飯で、
擂った胡麻と一緒に人参葉の破片もひっついている。
これのいいところは
擂り鉢を洗うときに、ああこの目のところにはまり込んだ胡麻が
もったいないあという良心の苛責を感じなくて済むところだ。
教えてくれた京都のおばあちゃんは祇園でいちばん安い飲み屋をやっていた。
料理が上手で、おいしいおばんざいがいつもあって、
うまいし、宿から近いし、勘定は安いしでずいぶん世話になったし
店が休みの日は飲みに付き合ってもらったりして
その頃は四人もいた京都の飲み友だちおばあちゃんずの一人だった。
ああ、あの頃は楽しかったなと思う。
たいへん迂闊なことに、
飲み友達のおばあちゃんずは一生いるものだと思っていた。
最初に擂り鉢ご飯のおばあちゃんが倒れ、
たまちゃんおばあちゃんが亡くなり、
「あてが舞妓ちゃんやったころ」が口癖のおばあちゃんも亡くなり、
最後に残った水炊き屋のおばあちゃんももういない。
なんだか京都が寂しいなと思っていたら
「予備軍がいっぱいおりまっせ」と言っていた人が
本当におばあちゃんと呼んでもおかしくない年齢になっていた。
年齢はそうだが、ひと昔前のおばあちゃんに較べると
ぜ〜んぜん若くてキレイだ。
もしかすると世の中から「おばあちゃん」が絶滅しているのかもしれない。
自分のトシを棚に上げて、そんなことを考える擂り鉢ご飯なのだった (さ)