タコヤキを買う。仕方がないのだ、好きなんだから。
しかしここのタコヤキはスーパーまずい。
それを知っているから「ください」という声がすでにして怒っている。
「よく焼けているのをください」と不機嫌な声でわざわざ言うのは
外も中もぐにゃりとした生焼けを食わされた経験からだ。
よく焼けたのは、それ以上焼かないために火を消していたらしく
ボッとガスの火をつけてあたためようとしたから「そのままでいいです」と
いっそう不機嫌な声で言った。
さてそのタコヤキはまずいが上にもまずかった。
温度は人肌より少しあたたかいくらいだった。
味覚で認識できる具はタコと紅ショウガだったが
タコはあまりに固くて、とても歯の立つ代物ではなかった。
そうだ、タコは味ではなく固さでその存在を主張していたのだ。
いままでは熱くてハフハフしながら丸呑みにしていたタコの切れ端は
実は冷えていても丸呑みせざるを得ない固さだったのだ。
いっぺんだけ無理に噛んでみたが、何の味もなかった。
紅ショウガは、紅ショウガの味はすれども歯触りがなかったので
かなりの微塵切りだと想像された。
そして、あくまでも固いタコの切れ端と紅ショウガを包む外側は
なんとも粉くさかった。
メリケン粉だからメリケン粉の匂いがするって、そりゃ違うでしょう。
まずいことを知りながら、しかも買う段階で激怒しながら買っているので
いまさらさらに怒る筋合いではないかもしれないが、
それにしても、どこでどう間違えると
これほどまでに不味いタコヤキが製造されるのだろうか。
子供のころに食べたたこ焼きは白い割烹着の婆ちゃんが曳く屋台のたこ焼きで、
外はカリッと焼けており、中もちゃんと火が通っていた。
いま思い出す具といえば、粉ガツオ、天かす、細かく刻んだキャベツ
細かく切ったチクワ、タコ、紅ショウガにネギ、
それになぜかインゲン豆が入っていて
あと、あれです、干しエビじゃなくて桜エビでもなくて、
もっと小さいの...オキアミの干したみたいなのが入っていた気がする。
こまごまと多種類の具が入っていて、ちゃんと焼けていて
ちゃんとうまかった。
東京でクソまずいタコヤキを食べると
どうもこの地方の人々はたこ焼きという食べ物を勘違いしているのではないか、
もしくはバカにしているのではないかという気がしてならない。
たとえば、たこ焼きに
明石焼きの柔らかさを持ち込もうと努力しているとか、
そういう方向違いなことを考えない限り
こうまでアホなタコヤキは製造不可能だと思うのだが(さ)