夏がはじまるころ、高崎卓馬くんから本が送られて来た。
「
はるかかけら」というタイトルの本だった。
白いとてもキレイな本で、「小説を書きました」という手紙が添えてあった。
開いて「あっ!」と思った。これはアレだ、5年前のアレだ。
2007年の秋、高崎くんは
Toyo Copywriters' Street に
おばあちゃんの葬式からはじまるちょっと不思議な面白い原稿を書いてくれた。
読んだときに、ああこれは高崎くんの実話だなと思ったのだが
そのお話そのものが大事にしまっておきたい部類のものだったので
「あれ、実話だよね」なんてうかつにメールを書いて
あの美しい話に垢をつけてはいけない気がした。
キレイなまま高崎くんの記憶にしまっておくと
高崎くんの人生のどこかのシーンをキレイな灯りで照らしてくれるだろうと思った、
高崎卓馬くんの「
はるかかけら」の冒頭は
まさしくそのシーンからはじまる。
Toyo Copywriters' Street の3~4分の枠では語りきれなかった
あのシーンのディティールがそこにあり
亡くなったおばあちゃんの青春もちゃんと描かれていた。
Toyo Copywriters' Street で書いてくれたストーリーは
大きな木から枝を一本切り取って花瓶に挿して見せてくれたようなもので
もともとはこんな大きな木だったんだと思った。
(興味ある人、こちらからどうぞ。
http://www.01-radio.com/tcs/archives/tag/高崎卓馬
ラジオ版とライブ版とふたつ掲載されています)
「はるかかけら」はオムニバス風に4つの物語がある。
冒頭は戦中戦後の北九州、上に書いたおばあちゃんの話。
ふたつめはインドの寒村、次は近未来の宇宙。最後が現代日本。
もう読んだ人も多いと思うのでここで説明をしなくてもいいと思うが
どれもこれも書きようによっては暗く重く悲惨な話になる。
もしかしたら、高崎くんの小説作法には重量制限があるのかもしれない。
重苦しい部分を下に沈ませて、キレイな上澄みを掬ってくれている。
いや、もしかしたら高崎くんの小説は歌なのかもしれない。
キレイなメロディに乗ってしまうと
悲惨な出来事も絶望した心もみんなで歌えるようになる。
同じことだが、絵もそうだ。
描かれている内容が何であれ、キレイな色で塗ってもらうと
目をそむける人もいなくなる。
みんなが自分の目の前に漂うモノリス、はるかかけらに
気づいてくれるだろう。
4つのストーリーのどれもに登場する(或いはしない)
ブルーガーネットという架空の宝石が「はるかかけら」だと
私は勝手に解釈しているのだが
それはいわば「2001年宇宙の旅」のモノリスのようなもので
それ自体は意志を持たないが
いつのまにか磁石のように登場人物の「生」を引きつけている。
たぶんそういった存在を高崎くんはブルーガーネットというわかりやすい形にして
私たちに見せてくれたのだろう。
そして誰もが見やすいように
ストーリーをキレイな絵のように音楽のようにしてくれているのだろう。
とにかく私はページを開いたら最後、たいへん素早く読んでしまって
読んだからには感想文を書かねばと思っていたのだが
その感想そのものが、
自分のなかでちょっとしまっておきたい類のものになってしまい
なかなか人に見せるものにはならなかった。
本当にいまさらなのだけれど、やっと宿題にとりかかった子供のように
これを書いていて、
本当に遅くなってごめんね、高崎くん(さ)