山本高史は関西人だ。
関西人の、しかもいい家に生まれ育った人の気の使いかたをする。
それは息詰まるほど濃密だ。
関西には規則になっていない暗黙の了解事項のようなものがあり
それは気遣いと無縁ではなく
人と人との関係を円滑にする役割を果たしている。
関西人は言葉を額面通りには受け取らない。
その言葉の意味するところを考える。
Aという言葉を口にしながら実はBを示しているということがある。
総じて関西のコミュニケーションは高度である。
口から発する言葉は音をともなうが
その音程や音の長短、ひいては肌触りや温度で
同じ言葉にさまざまな違った意味を持たせることができる。
文字というのはひとつの言葉に多くの意味を持たせることがむづかしく
「キライ」という言葉に「好き」の意味を持たせようとすると
さまざまな伏線や説明が必要になる。
山本高史が饒舌なのはたぶんそのせいだ。
私が面倒くさいといってやらないことを山本高史はやっている。
10日ほど前に写真の本を送ってもらって読んだ。
コミュニケーションの本だった。
気づいてはいたが面倒なので放っておいたことが
知らないとは言わせないぞとばかりここに言葉になっていた。
いま気づいておかないとまずいことがちゃんと書いてあった。
しかも何より大事なことだが、面白いのだ。
イッキに読んだのにこれを書くのに時間がかかってしまった。
書くことがなかったのでなく書きたいことが多すぎたせいだ。
それだけ私のなかのカオスの部分に一石を投じられたのだろうと思う(さ)
鎌田實+山本高史「ここから」
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4584133409.html