落語を聴きに行ってしまった。
YモータースのY社長のおかげだ。
この社長は私が別の芝居のことで問い合わせたところ
「そっちよりこっち」と言って落語に私を引っ張ったのだ。
「そっち」の芝居は正式なチケット販売ではすでに売り切れていたので
「こっち」も面白そうかと思って行ってみることにした。
自慢ではないが落語を寄席で聴いたことは1回くらいしか記憶にない。
ただし本は読んでいる。円生や志ん生の上演本で
高座で演じたものを録音して筆記したものだと思う。
テープも聴いている。円生に志ん生に枝雀。
要するにこの三人が好きなのだ(全員死滅している)
ともかく草月ホールという寄席とは真逆の雰囲気の劇場に
落語を聴きに行ったのだ。
Yモータースからは
池田成志が出演しており
いきなり某社の秘密事項をマクラで披露していた。
さて、実は書くべき実例を忘れてしまって弱っているのだが
落語のような伝統芸においても日本語があやしい。真打ちでもあやしい。
ひとつだけ覚えている例は「絵からぬきんでたような」だったが
「絵から抜け出たような」が「抜きんでたような」になっている。
「抜きんでる」と「抜け出た」ではかなり意味が違うのだが
思わず間違えたのかもうそのように覚えてしまっているのかがわからない。
しかし、それでも噺家は凄いなと思うのだが
ただ単に「しゃべっている」のではないのだな。
ちゃんと客に伝えている、というか客と一緒に世界をつくっている。
(つくろうとしている発展途上もあるが)
そこがやっぱり凄いな〜とあらためて思ったのだ。
客を巻き込んでいるので、日本語の間違いは
私のような意地の悪い人間でないと気づかないだろうと思う(たぶん)
本日の収穫は
橘家文左衛門だった。
「子別れ」という上中下の三部作に別れた噺の下をやったのだが
1、時代に合わせたらしき新解釈が入っているが(最後のセリフが古典とは違うようだ)
2、にもかかわらず面白く(私は新解釈が嫌い)
3、人物が立体的で
4、ことに子供がなんとも言えず良い
5、あまりに魅力的だったのでいっぺんも睡魔に襲われなかった
これ、ほめているつもりです。
最後になりますが、成志先輩(と、聖子ちゃんが呼んでいる池田成志)、
がんばっていました。
顔の表情やら何やら...もともと面白い(これ褒めているのか?)ですし
願わくばもっと不器用にやってもらいたかったですが
邪悪なまでに器用な人なんですよね、この人は(さ)