「衛生」という概念の誕生は比較的あたらしい。
ご婦人が裾の長いドレスを着ていた頃のパリは
ゴミといえば路上に捨てるものだったし、さらに糞尿も窓から捨てていた。
(現代においてもカンヌの路地裏で花瓶の水が頭上から降ってきたことがある)
自分が汚しておきながら、こんなキタナイ道は歩けないわということで
ハイヒールが誕生したという話をどこかで聞いたことがあるほど不潔だったのだ。
産業革命が起こると、さらにひどいことになった。
なにぶん工業化が急速に進んだので
労働力が都市に集まるスピードも早かった。
住環境は悪いし、上下水道も整わない。賃金は安い。
しかも衛生などという言葉さえなかったわけで
結核や天然痘、コレラ、チフスがはやり、
貧乏と病気が手を取り合って労働者をいためつけるという有様だった。
生活環境の改善で病気を予防できると主張したのは
イギリスのエドウィン・チャドウィックという人で
公衆衛生が近代国家に必要だという認識をひろめた。
ところで、「衛生」という概念は
人の脳から勝手に湧き出ずるものではないので
親が子供に教え、また学校で教えなどするのだが
「学ぶ」環境がなければ子供たちは手を洗うことも知らない。
そんな国のひとつがウガンダで
1962年の独立以来クーデターが相次ぎ
政府軍と反政府軍の戦いが絶えず起こっていた。
一時は400万人の人々が自分の住む町を捨ててキャンプに非難するという
国内難民になっていたが
2006年にひとまず「戦闘と敵対的宣伝の停止の合意」があり
治安が安定したことでふるさとに帰りはじめた。
するとこんどは、水や医療、学校などの設備が不足する。
保健所もない。子供たちの死亡率が非常に高い。
上の写真は、そのウガンダを支援対象にした
サラヤの「100万人の手洗いプロジェクト」マークがついたハンドソープで
このマークがついた商品は売上げの1%が支援活動への寄付にあてられる。
具体的には、母親を対象に手を洗うことの大切さを布教したり
布教活動をする現地の人を育成したり、手を洗う設備を建設したりするわけだ。
トイレには当然のように手を洗う設備がある国に住んでいると
ああそうか、洗うことを教えると同時に洗う設備をつくる必要が
あったんだなと認識をあらたにしてしまったのだった(さ)
サラヤ100万人の手洗いプロジェクト:
http://tearai.jp/index.html