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![]() 癌と闘っていた山田辰夫さんが、入退院を繰り返した最後に ついに治療を断念して覚悟を決めたときの言葉が 「これ以上は無理だ」 それから山田さんはホスピスに行った。 あきらめたわけではない。もう治療の方法がなかったのだ。 中井貴一さんが見舞いに行った。 「励まさないでよ」と山田さんは言った。 それから中井さんは毎日毎日山田さんに電話をかけた。 やっと撮影が終わって、中井さんはもう一度山田さんを見舞った。 そのとき、もはや消化機能を失っていた山田辰夫さんが 差し入れのイタリアンを食べようとしていた。 中井さんは驚いたそうだが そのときの山田辰夫さんの言葉が 「こうなった方がおいしいんだよ。塩の味がよくわかって」 もうひとつ、中井さんがホスピスで聞いた言葉がある。 「俺は俳優をやめたんだよ。 それなのに親より先に逝かなければならないのか」 山田さんが「これ以上は無理だ」と言うまでに どれだけ闘ったかは遺影でもわかる。 全身に癌が転移していた4月に撮影した写真だが この写真はジェイ・クリップという山田さんの所属事務所で プロフィル用に撮影したものだ。 http://www.j-clip.co.jp/JCLIP_HP/clip_men/03_yamada.html プロフィル用の写真といえば 誰でも、過去のいいときの写真を使うものだけれど 山田さんは、現在のありのままの自分の姿を見せながら まだ俳優の仕事をするつもりだったし 治療を受けて回復することをあきらめていなかったのだ。 昨夜は山田辰夫さんを送る会だった。 本当は「山田辰夫君を送る会」と名付けられていて 「さん」ではなく「くん」だった。 大勢の人が山田辰夫さんを「タツ」と呼んでいた。 献杯は中井貴一さんで 上記の言葉はそのときの挨拶から引用させていただいている。 吉川晃司さんは、かつて山田辰夫さんに言われた言葉を披露してくれた。 「顔で芝居すんなよ。そんなの芝居じゃねえ」 円城寺亜矢さんもこんなことを言われたそうだ。 「どんな功績を残しても人間は死んだら10行の死亡記事だ」 名言の多い人だなと思った。 言葉の切れ味がいいのは、つまり、それだけ 人生におけるさまざまな覚悟が決まっているということだ。 大森一樹監督が言った。 「山田辰夫さんが亡くなってニューシネマは終わったけれど どういうわけか監督は生き延びております」 ![]() 山田辰夫さんに年下の友人と呼ばれていた山本高史は ハイピッチでウイスキーを飲み、何度も泣き やがて自分も壇上のマイクの前に立ったが 日頃の饒舌をちっとも発揮できないまま降りて来てしまった。 なので山本高史の名言は私しか聞いていない(たぶん) 「山田さんのことを名脇役って言う人が多いけどさ 俺は脇役だって思ったこといっぺんもないよ。 俺は山田さんを主役だと思って仕事してきたよ」 その山本高史が書いた原稿の朗読が山田辰夫さんの最後の仕事で 収録は6月26日だった。亡くなるちょうど一ヶ月前だ。 たった1時間の、その仕事が終わるのを待っていたように 山田さんはホスピスに行ったのだが 本当はもっと早くラクになりたかったのかもしれないのに ご自分の都合はひと言もおっしゃらなかった。 (我々も知らなかった) 山田辰夫さんの最後の朗読は下の画面で聴ける。 癌の末期だったとは思えないほどよく声が出ている。 そういえば、最期のときに 「俺、ちゃんと声が出てるな、大丈夫だな」と山田辰夫さんは言って 亡くなったという話を聞いたように思うが あれは誰の挨拶で披露された話だったか、うかつにも忘れてしまった(さ)
by malt-yu
| 2009-09-13 11:00
| 映画・演劇・ゲームなど
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Comments(2)
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