「私は山姥だ」と、北村みっちゃんは言う。
のみならず「あなたも山姥だ」と私に向かって言う。
まあいいけど....いや、良くない。
けれどもいつの間にか山姥の会になってしまった。
北村みっちゃんというのはスタイリストの
北村道子さんのことで
ここしばらくご無沙汰しているのでメールを出したら
たいへん元気な返事がもどってきてご飯を食べることになった。
みっちゃんはパワフルだ。
思い出すのは1999年の夏のことで、みっちゃんは肺癌の手術をした。
手術の日は集中治療室だから来なくていいと言われていたので
夕方になって病院に電話だけしたのだが
みっちゃんはすでに自分のもといた病室に戻っていた。
集中治療室はどうなったのだろう...
翌日見舞いに行ったらすでにして元気いっぱいで歩いており
点滴をガラガラひきずって玄関まで見送ってくれた。
どうも癌の患者とは思えなかった(癌はピンポン玉くらいあった)
手術の前も後も肺癌とは思えないくらいよくしゃべった。
あれから10年以上たっている。
3年めも無事に過ぎ、5年めもよかったねと言いながら過ぎ
再発もせずますます元気なみっちゃんの饒舌は
到底ひとりでは受け止められなし、
ひとりで拝聴するには余りにもったいないので
秘湯会につきあってもらった。
4人で鞍掛豆のある蕎麦屋に4時間ほどいた。
その後、表参道の喫茶店と思って入ったら夜はバーに変身する店で
1時間くらいいた。
みっちゃんは元気だ。子供の頃は虚弱児だったというし
いまでも湿気に弱いそうだが
天と地のパワーがちゃんとみっちゃんに集まっているような気がする。
ひとつ発見をした。
蕎麦屋の鞍掛豆は煮ても色が鮮やかだと思っていたのは
私の勘違いだった。
私が茹でるのと、まあ似たようなものだった。
それにしても、どうして山姥?という疑問が残るのだが
きっとみっちゃんは自分と私が同じ部族だと思っているのだ。
私もはじめてみっちゃんの顔を見たときは
あ、似てる!と思った。顔が似てると思った。
なんか変な言いかただが、似ていて似ていないけど似てると思った。
しかし、それが山姥とは知らなんだ(さ)