色紙の言葉は開高健が色紙によく書いた言葉だが
これに関しては諸説があって
何を書いても「らしい」という言葉しか使えない。
まず、原文は
「あなたはリンゴの木を植える」のではなく
「私はリンゴの木を植える」であって
開高健が「あなたは」に直したものであるらしい。
寺山修司は
「もし世界の終わりが明日だとしても
私は今日リンゴの種子をまくだろう」という言葉を
ゲオルグ・ゲオルギウ(ルーマニアの共産党のリーダー)の言葉として
紹介しているが、これも間違いであるらしい。
ゲオルギウという人物はルーマニア生まれの作家にもひとりいて
そっちと混同されるらしいのだ。
作家の名前はコンスタンチン・ビジル・ゲオルギウという。
作家のゲオルギウの小説「第二のチャンス」の日本語訳のなかに
マルチン・ルターの言葉として紹介されているのは
「たとえ世界の終末が明白であっても
自分は今日リンゴの木を植える」
ここで「明日」が「明白」になっているのは日本語の誤植であるらしい。
したがって、正しい言葉は
「たとえ世界の終末が明日であっても
私は今日リンゴの木を植える」
であるらしい。
出典は、ゲオルグ・ゲオルギウ(政治家)、C・V・ゲオルギウ(作家)
マルチン・ルター(宗教家)、ルソー(思想家)
キング牧師、リルケなど諸説あるが
どうやらC・V・ゲオルギウが正しいらしい。
「らしい」は疲れる。(さ)