胡留(うる)さんの顎を撫でていたら、腕に足を乗せられた。
足で撫でようとしてくれていたのか
単に足を高くして寝たいだけだったのかが不明だ。
胡留さんは相変わらずよく寝ている、
先だっての土曜日はどういうわけか昼間ずっと起きていて
おおっこれは!というくらい三食たっぷり食べたが、
日曜日には再び「寝子」にもどり、
月曜は朝ご飯を食べて昼食には手をつけずに夜まで寝て
飼い主が帰宅して起こしたら
ナマリブシとササミを半分づつ食べて、また即寝に行った。
滞在時間30分もない。
我々にとって胡留さんは、賢猫から数えて五代めの猫だが
四代めの病猫を看取るのが本当にたいへんだったので
猫をかわいがる心が2倍くらいに膨張してしまっている。
一日中家にいられる身分なら2匹や3匹どんと来いだったかもしれない。
ところが、一日の半分くらいは出かけているのでそれができない。
よほど気の合った猫同士ならいいが、
そうでないと飼い主の不在中に決闘事件が起きるかもしれない。
胡留さんは遠慮深く暮らしていたらしい避難所時代とは違ってきており、
好奇心やら何やら、人生(猫生)をライブに活動する要因を
取り戻しはじめている。
だから気に食わない猫が来たらケンカをするかもしれないし、
逆にケンカをしないでまた壁と同化したような猫になってしまうのも困るので
そこんところがむづかしい。
猫はだいたいが子供をかわいがる動物なので、
チビ猫なら大丈夫かもしれないが、
そのチビ猫が飼い主の留守中に何をやらかすかしれたものではない。
思えば賢猫コトラン(♂)は、野良の子供でチビ猫から飼ったのだが
この猫は賢く偉大な猫だったので、叱る前に飼い主の顔色で家猫の作法を学んだ。
おかげでその後から飼った墨丸や黒兵衛の愚猫どもも
コトランが躾けてくれたので、研いではいけないところで(ほぼ)爪研ぎをせず、
登ってはいけないところには登らず、
アホタレなりにわきまえというものがあったが
賢猫コトランの真似を胡留さんに期待するのはどうも無理な気がするし、
第一、胡留さん本体がまだ飼い主に多少の距離を置いている。
この飼い主は100%自分にとって悪いことはしないという信頼までは
たどりついていないのだ。
とはいえ、いま様子を見に行ってみると
撫でるとゴロゴロ喉が鳴るし、撫でる手にスリスリするし、
そのうち気分が盛り上がってきたらしく、立ってくるくるまわって
最後には腹を見せてころんちょして
私の手を前足で抱えて甘噛みもするわけなので、
胡留さんとしても、この家は満更でもないというあたりまではいっているのではないか。
まあ、アクビも2度ほどしていたけれど。
そうだ、そういえば、胡留さんが昼間にひとりで寂しいようなら
もう一匹飼おうかと思っていたわけなのだが、
いまのところ寂寞や孤独の心を抱く暇がないほどよく寝ている。
胡留さんにとって、我々は二代めの飼い主だ。
猫は飼い主をかわいがる心を2倍にする努力をしないと思うけれど、
現在ののほほんとした暮らしぶりを見ていると、
かつて置き去りにされたときの苦しい記憶を
うすぼんやりとしたものに変えていくことはできるのではないかと思う(さ)