昨夜飲んでいた店で、
そういえばここ2時間ばかり携帯を見ていないなと気づいたのだが
そのとき真っ先に考えたのは
「数時間前に撮影したあの貴重な写真をなくすのは惜しい」
ということだった。
その写真というのが上の写真で、場所はスタジオ、時間は夕方。
作業を終わってCDやら何やらのプリントができるまでの待ち時間に
「高い高い」をして遊ぶ人物といえばもうY本T史とポケット社長に決まっている。
その決まっているものをなぜY本T史と書くのかというと
数年前にやはり「高い高い」写真をここに載せたところ
Y本T史が教えているコピーライターの講座の生徒が
何か質問はときかれて「Y本さん、本当に高い高いをやったんですか」と
授業の内容とまったく関係ない質問を発したという話をきいたので
Y本T史ですむならばわざわざ実名を広めなくてもいいかと思ったわけなのだ。
それでまあ、携帯はどこかに忘れてきたらしいのだが
念のためにカメラを調べたら
貴重な写真は携帯でなくカメラの方に残っていた。
よくぞ携帯でなくカメラで撮影したものだ。
おかげで携帯はなくしても写真は残る。
これさえ残っていれば携帯本体はまあいいかという気もする。
昔、骨董品ともいうべき携帯を使っていたときは
紛失のたびに新しい携帯にアドレスを入力するのが面倒だったのだが
近ごろではパソコンに繋ぐとアドレス帳からデータを吸い上げてくれる。
こんなに便利な機能があるということは
世の中に携帯をなくす人がいかに多いかを物語っているのではなかろうか(さ)
(そ〜ゆ〜ことではないと言われそうな気もするが)