子供の頃は正月と旧正月に餅をついた。
菓子屋に一斗とか二斗とか米の量で注文しておいて、餅つきの当日になると
このくらいの時間がお宅の番だと知らせてきた時間に菓子屋に行く。
その日の菓子屋は奥の土間で朝から晩まで餅搗きをしている。
見ても見なくても餅は搗き上がってくるのだが
子供にとっては餅搗きを見るのも楽しみだった。
これはただ見るだけで、搗けた搗けたといって
一斗や二斗の餅を持ち帰れるわけではない(一升だって重い)
菓子屋は数日前に取りに来た餅箱に搗いた餅を入れて
ちゃんと届けてくれるのだ。
(いま「餅箱」といってもわかる人は少ないと思うけど)
餅は仏壇や神棚に供える鏡餅、丸餅、それからナマコ。
ナマコには白いナマコ、胡麻入りのナマコ、青海苔のナマコがあり、
そういえば砂糖入りのナマコも少々あった(私は食べなかった)
ナマコというのはひと臼分の餅をまるまる四角い形にしたもので
これは包丁で切って角餅にする。
さらに薄くへいで天井につるして乾かした。
こまかく切ってひな祭り用のアラレもつくっていた。
へぎ餅は火鉢で焼くと「かき餅」になる。
角餅やかき餅を焼いて茶碗に入れて熱いお茶をかけて塩をパラリと振るという
餅だか茶漬けだかわからない食べかたもあって
お腹を空かせた子供は餅にずいぶん助けられたような気がする。
さて、始末が悪いのが鏡餅だった。
家は爺ちゃんの代に落ちぶれてごく狭い住まいだったので
鏡餅もたいして大きくはないが
座敷の神棚に大小を飾り、台所の三宝さん(荒神さんです)に飾り
おまけにへっついにも小さいのをひと組飾りなどするもので数があった。
小さい鏡餅でも焼いて食べるには大きいし、どうもうまそうに見えない。
そこで乾かして、ヒビが入るとそこからどんどん割ってさらに乾かして、
細かくカラカラに干し上げて
餅のことなど忘れた頃に油でじわじわ揚げる。これはうまかった。
そんなわけで私はいまだに揚げ餅をつくる。
焼いた餅や雑煮はたいして食べたくもないけれど
揚げ餅だけはやめられない。
餅はもうずいぶんと長い間、茨城の知り合いが送ってくれる。
昔はザルで外に干していたが
近ごろはツネ母さんからいただいた底のある三段のハエ帳のようなものに入れて
物干しで乾かしている。
餅を見るなり半分がとこ干しにかかり、
干し上がったそばから揚げて食い、足りなければ買ってまで干す。
寒中はハエタローの頭上に常に餅がある。
幸いにしてハエタローは餅に興味を示さないから助かっている。
しかし昔はなんであんなに大量の餅を消費していたのだろう。
いま自分が食べる餅の量を考えても不思議に思う(さ)