銀座の博品館は明治32年の創業だが
その前は千歳という料理屋であったらしい。
料理屋のむかしは知らねど博品館となってからは
カフェや写真館も備えた複合商業施設であり
傾斜通路の3階建ての、いわばランドマークであったと思われる。
さて、その博品館の前あたりに井戸があった。
路上の井戸である。
ある夏、その井戸の水が甘くおいしくなったという評判で
新聞でも騒がれ、近所はもちろんのこと
山の手あたりからもわざわざ水をもらいに来る。
そうしてひと月以上も過ぎたころ
もらい水にならぶ人に、これは何ごとかと訊ねる男があった。
事情をきいた男はコップにその井戸の水をもらって
ゴク、ゴク、と飲んでは井戸をのぞく。
そのうち男の顔つきが変わって
この井戸の中に自分の息子がいるから捜してくれと言う。
男の息子は大きな砂糖屋に奉公していたが
ひと月半前から行方が知れなくなっていたのだ。
それから井戸を浚ってみると、果たして十三四の小僧の
腐敗した亡骸と、砂糖を包んでいた風呂敷が出た。
小僧は重い荷物を背負って遠方へ使いに出て
井戸の縁に腰をおろして休むうちつい眠気がさして
うとうととカラダが前後に揺れる。
背中には重い砂糖の荷物を負うている。
その重みに引きずられて井戸に落ちたのだろう...
という推測になった。
背負っていた砂糖が溶けて井戸の水を甘くしていたのだ。
大騒ぎになって、井戸を埋めようという議論もでたが
飲まねばよい、撒き水にすればよいということにして
井戸は残しておいた。
すると翌年の夏、小僧が奉公していた砂糖屋の子供が
井戸に落ちて死んでしまった。
子供が落ちたのは砂糖屋の井戸であったけれども
これは小僧の井戸の祟りだろうということになって
博品館の井戸はとうとう埋められてしまった。
銀座の街路樹は柳だが、これは銀座の土地が水分が多かったために
水を好む柳を植えたものであって
柳のあるところには、たとえ塞がれていようとも
川、水路、井戸など、水が存在しているものである(さ)