私の祖母は「猫は魔である」といつも言っていた。
魔であるからには畏敬をもって接すべきと思うが
そのわりには安っぽいカツブシご飯なんぞで養っていたのが不思議だ。
魔といわれるからには人にはない能力があるはずで
ある本によると猫の危機を察知する力は犬より高い。
(ただ自分だけ助かろうとする性質があるために役に立たないらしい)
確かに地震のときもグラッと揺れる前から起き上がって
「来るぞ」という姿勢をとっていることがあるし
飼い主の足音も、というか
飼い主が乗って帰ってきたタクシーの音もかなり遠くから聞き分けて
出迎えようか無精を決め込むか判断している。
ストーブは好きだがエアコンは嫌いで
夏がくると家のなかでもっとも涼しい場所を見つける。
意味もなく痛い思いをさせた獣医のことは一生忘れず
チャンスがあればウンコをひっかけようとする。
たまにヤカンが噴いているのを教えてくれることもある。
飼い主が弱っているのもよく見分けて付き添ってくれるし
寝込んだりしようものなら部屋の敷居の外で
何日でも静かにじっとしているが
あれはいったいどういう意味があるのだろう。
自分なりの結界をこしらえて番をしているのだろうか。
回復の度合いも病人自身よりも早く察知する。
猫がにゃんにゃん我儘を言いはじめたら
病気は快方に向かい、起きて動けるようになっているのだ。
手枕で寝ていたり、腹を天井に向けて寝ていたり
愉快なポーズで日々楽しませてくれる猫が
たまに夜の闇の向こうを凝視したり
窓の外の風の匂いを嗅ぐような姿勢をすると
「猫は魔である」という祖母の言葉を思い出す(さ)